2020年9月下旬、今回は熊野古道「紀伊路」を歩いてきました!
前回のパート8では、海に最も近い「浜の王子」と呼ばれる岩代王子・千里王子を巡りながら、”南高梅”で名高い梅の里「南部」まで歩きました!
ときたま浜辺を歩いたり、小さな峠を越えたりと非常に変化が多く、清々しい秋晴れの中、とっても楽しい古道旅を満喫できました♪
今回の紀伊路トレッキング第9弾は「南部駅~紀伊田辺駅」の区間を歩きます!
8月後半、盆休みを過ぎたころから歩き始めた”紀伊路”。約1ヶ月半も通い続けて歩いてきた熊野古道「紀伊路」旅も今回が最終回となります!!
中辺路・大辺路との分岐点、熊野の入り口「口熊野」と呼ばれた”田辺”へいよいよゴール!!
紀伊路トレッキング①山中渓駅~布施屋駅はこちら↓
前回の記事はこちら↓
「紀伊路」についてまとめました↓
今回の熊野古道「紀伊路」プラン!
9回目は南部駅~紀伊田辺駅|紀伊路最終回!!
最終回の今回は「南部駅~紀伊田辺駅」まで歩きます!
梅の里「南部駅」からスタート!駅前の通りからまずは”旧三鍋王子社”である鹿島神社に参拝します。
鹿島神社から芳養王子までは、国道42号線と並走する道を海を眺めながらしばらく進みます。その途中で、みなべ町から田辺市に入ります。
芳養王子を過ぎると、そのまま出立王子に向かうコースと「天神崎」を経由するコースに分かれます。
「天神崎」は”日本のナショナルトラスト法人第一号”に認定された、豊かな自然が保護されている岬。今回は天神崎への経由コースを選択しました!
天神崎を散策してコースに復帰。会津橋の手前で左へ入り、紀伊路内で最後の王子”出立王子”へ!
そのまま会津川沿いに進み、南方熊楠のお墓や貝塚で知られる「高山寺」を経由して、「紀伊田辺駅」を目指します!
このコース(※天神崎を経由しない場合)の総距離は約9.4km!
標準コースタイムは約4時間20分!
今回のコースはこれまでの区間に比べても距離は短めとなるので、”天神崎”へ経由するコースを選択するほうが、見どころも増えて楽しい古道旅になると思います♪
- 距離:+2.5km
- コースタイム:+40分
天神崎を経由する場合は標準コースタイムが約5時間となります!
今回のプラン・山行データ!
起点:南部駅 終点:紀伊田辺駅
- 電車移動:紀伊田辺駅(6:00)→南部駅
- 南部駅(6:10)→鹿島神社(6:19)→芳養王子(7:21-30)
- 天神崎を経由:(7:48-休憩-8:56)
- 出立王子(9:10)→高山寺(9:22-36)→紀伊田辺駅(9:57)
天候:晴れ♪
距離:13.9km
活動時間:3:47
アクセス・駐車場
紀伊田辺駅周辺にコインパーキングあり
今回はゴール地点の「紀伊田辺駅」近くにあるコインパーキングを利用しました!
”田辺”は古くから水陸交通の要衝として発展した町。現在の紀伊田辺駅周辺も、「味光路」と呼ばれる紀南最大の飲食店街があったり、海水浴場があったりと非常に賑わいがあります。
ということで駅周辺にはコインパーキング・市営駐車場がとっても豊富!
ブログ主は駅から徒歩5分ほどの「紀伊田辺駐車場」を利用しました。たぶんJRが管理している駐車場なのかな?
またスタート地点の「南部駅」にもパーキングがあります。
どちらに車を置くかは、田辺にゴールしたあとの行動によるかな~と思います。田辺周辺を散策されるなら紀伊田辺駅に車を置いた方が行動しやすいかもです!
アクセス
〈紀伊田辺駅へのアクセス〉
- マイカー:阪和自動車道「南紀田辺IC」から約8分
- 電車:JR紀勢本線/御坊駅から「紀伊田辺駅行き」
〈南部駅へのアクセス〉
- マイカー:阪和自動車道「みなべIC」から約5分
- 電車:JR紀勢本線/紀伊田辺駅から「御坊行き」
〈行き帰りの電車〉
- 紀伊田辺駅~南部駅:200円
熊野古道「紀伊路」|⑨南部駅~紀伊田辺駅
電車移動:紀伊田辺駅→南部駅
前日の夜に自宅を出発して、深夜に紀伊田辺駅に到着!パーキングで数時間仮眠しました。
今回はコースタイムがそれほど長くない区間ですが、帰りに御坊市の「野口オートキャンプ」で1泊してから帰るので、少し早めの時間帯から行動を開始します!
紀伊路のゴールへ先に車で来るとか、完全なネタバレになっちゃうから、あまり周りを見ないように足早に駅のホームへ。
〈6:00〉始発の次の電車に乗ってスタート地点の南部駅へ向かいます!
電車の中でまさかのトンボ捕獲(゚∀゚)!どっから迷い込んだんや。
トンボさんを手に持ったまま、南部駅に到着!駅から出てトンボさんを逃してあげました(^_^)/~
南部駅→鹿島神社→芳養王子
〈6:10〉それでは紀伊路旅の最終回スタート!!
南部駅前の正面の道を進み、
角に郵便局がある交差点で熊野古道に合流。交差点を左折します。
突き当りまで真っ直ぐ進みます。この両脇にあるグランド・体育館は、
県立南部高校!
梅の里「みなべ町」の特産品「南高梅」の名前の由来にもなっている高校です。高校の通称も「南高」。
みなべ町の梅の歴史は江戸時代から始まります。土地に栄養がなく作物が育たなかったこの地を治めていた安藤直次は、山に自生していた「藪梅」をみて民衆に「これを育てれば年貢を減らす」として梅の栽培をはじめました。
その梅は時の徳川幕府の将軍にも絶賛されるほどの出来となりました。
その後、明治時代に農家の「高田貞楠」さんが実の大きな梅を見つけて栽培。「高田梅」と名付けました。
1950年に「梅優良母樹種選定会」が発足。37種の候補の中から調査し、高田梅を最優良品種と認定!
この調査に尽力されたのが当時、南部高校の教諭であった竹中勝太郎さん。
そのことから高田の「高」と南部高校の「南高」をとって”南高梅”と名付けられました!!
全国的に知名度の高い「南高梅」の由来になってる高校ってすごいですね(゚∀゚)!
南部高校を過ぎて突き当りで右折。
そのすぐ先、国道42号線の1つ手前の交差点で左へ曲がります。
〈6:19〉すると鹿島神社に到着です!
鹿島神社は鹿島の神「タカミカヅチノ神」をお祀りしている神社です。
太古から災害防除の神として信仰されていた”鹿島”は、南部湾のほぼ中央海上にあるため、対岸であるこちらに拝殿が設けられました。
また前回のパート8でお参りした「三鍋王子」の旧社地でもあります。
本殿は18世紀の”熊野造り”と考えられていることから九十九王子の本殿としては五指に入る古く貴重な建造物とされています。
広い境内には休憩用のベンチやトイレ、熊野古道の案内板も設けられているので休憩適地!
鹿島神社で少し休ませていただき行動再開。鹿島神社の前の通りをそのまま進むと、国道42号線に突き当たります。
この交差点から国道を進むのではなく、左手にある並走する道を進みます。
次の芳養王子まではこの道をひたすら進んでいきます。
芳養王子までは史跡などの見どころは多くありませんが、
この道は海を見渡しながら歩くことができます♪すっごくいい天気だ(゚∀゚)!
1本道!この道路はあまり車通りが多くないから国道より安全♪
正面の日の当たる坂道を、部活に向かう中学生が自転車で駆け上っていきました。猫がいれば完璧!
海が見える古道っていいなー♪対岸に見えるとこがたぶん白浜だね。
紀伊路は今回で最終回ですが、そのうち”大辺路”にも挑戦するから白浜周辺の散策も今から楽しみです!
湾の真ん中あたりにある半島が後で経由する”天神崎”ですね!少しコースとしては遠回りになるけれど、この天気だから長く歩ける方が嬉しい♪
みなべ町の看板。ここが田辺市との境なのかな?
この看板の先で道路が通行止めになっていました。
一旦、国道に出て迂回します。ちなみに国道沿いをそのまま進むコースも「街道マップ」ではサブコースとして指定されていました。
工事現場を迂回してコースに戻る。
工事は一時的なものっぽいですね。
コースに復帰して”井原隧道”というトンネルを潜る。
〈7:12〉トンネルを抜けたところの右手に”井原観音”のお堂があります。
井原観音は”近西国三十三ヶ所観音”の28番札所となります。たしか前回のパートで千里王子の隣りにあった”千里観音堂”が33番だったと思います。
井原観音の先にあるT字で右へ曲がる。ここは正面に進んでも松井橋ですぐに合流できるのでどちらでもOK!
こちらが松井橋です。
この松井橋の200mほど先に公園があるみたい。トイレもあるし休憩に良さそうですね。
橋を渡って国道と合流。
合流地点の交差点を渡ります。木々が生い茂る石塁が芳養王子の神社。
〈7:21〉交差点を渡り正面に回り込んで、芳養(ほや)王子のある”芳養大神社”に到着です!!
境内に立つ大きな木!この木も”楠”なのかな?
こちらが本殿。
芳養王子は「御幸記」にもその名が見える古い王子社。田辺市にある五王子社跡の1つとして有名な王子です。
本堂はちょうど修復工事が行われていました。
今回は天神崎を経由するのでまだまだゴールまで距離がありますが、経由しない場合はこの芳養王子がコースのほぼ中間地点となります。
南部駅~紀伊田辺駅が約10kmなので、スタートからここで約5kmほどでした。
天神崎を経由する
〈7:30〉芳養王子を出発。集落内を進みます。集落内の交差点で左へ曲がるとJRの”芳養駅”があります。
駅を横目に通り過ぎ、5分ほど進むと”芳養一里塚跡”がありました。
一里塚跡を過ぎると国道に合流。
ここからしばらくは国道沿いを進んでいきます。
〈7:41〉国道沿いにある”牛の鼻”の祠。
”牛の鼻”ってなんのことだろう?と、自宅に帰ってから調べてみると、かつてはこの付近に”牛の鼻”と呼ばれる奇岩があったそうです。
江戸時代の「熊野詣紀行」や幕末の「紀伊名所図会」などには当時の牛の鼻の様子が、スケッチや挿図で描かれているそうです。
海岸の道路沿いって松の木がよく並んでいるけれど、なんでだろう?防風林?
松の木の中にお地蔵さん。
国道をしばらく進んで、コンビニがある”目良交差点”まで来ました。この交差点を右に曲がると「天神崎」を経由することができます。
天神崎を経由しない場合はこのまま国道を進み、途中で県道210号線で会津川方面へ進めば20分ほどで出立王子です!
〈7:48〉交差点を曲がると県立弓道場があります。
弓道場と武道館。
駐車場には自動販売機とトイレもあるので天神崎へ向かう前のプチ休憩スポット!
では天神崎を海岸に沿って歩いていきましょう!
そのまま道路を進んでも良いですが、途中で防波堤の小道を進むことにしました!
防波堤から海が見渡せるから海沿いのお散歩が楽しい♪
綺麗な海だなー(*´∀`*)
あの島は”元島”という島です。天神崎の沖合には3つの島が浮かんでいます。
一旦道路に戻る。”かんぽの宿”の前を通過します。
後にマップで確認してみたのですが、そのまま防波堤を進んでも大丈夫だったっぽい。
港と天神崎!左側のピークが”日和山”だと思います。
天神崎は日和山を中心とする丘陵と干潮時に現れる平らな岩礁で形成されています。陸の動植物と海の動植物が、市街地が近いにもかかわらず岩礁を挟んで同居する珍しい生態系。
森・磯・海が一体となって市街地の近くに豊かな自然を残しています!
天神崎元島の第1駐車場。
こちらの駐車場に天神崎のマップがありました!
この防波堤を渡って元島まで渡れるみたいですね(゚∀゚)!元島には弁財天を祀る”元嶋神社”が島内にあります。
でも、今回は向かいませんでした。というのも、今後熊野古道の中辺路や大辺路を歩く際に田辺には何度も足を運ぶことになると思うので、天神崎周辺ももっと掘り下げて散策してみたいから見どころを残しておきたい!
天神崎の中心となる日和山にも登るコースがあるから、今回は熊野古道を本題として、その時までお楽しみを残しておきます♪
お!岩礁だー(゚∀゚)!
天神崎は別名「和歌山のウユニ塩湖」とも呼ばれる景勝地。
条件が揃うと、岩礁に薄っすらと溜まった水が美しく反射して、ウユニ塩湖のような景観になります!カメラマンさんやSNSの写真撮影に大人気のスポットなんだそう!
あの島は見た目のまんま”丸山”って言う名前みたい。
天神崎はとにかく釣り人が多い!先程の駐車場もそうですが、ほぼほぼ釣り目的の方々ばっかりでした!お魚が多い時間帯的なのかな?
岩礁を徒歩でポイントを移動できるから釣りやすいのかも!
天神崎の植物。
天神崎は”ナショナルトラスト運動”の先駆けとしてその名を知られるようになりました。
1974年、天神崎での別荘地開発計画が持ち上がったことで、天神崎の豊かな自然を守りたいという目的から「天神崎の自然を大切にする会」が結成され、全国からの募金により天神崎の買い取り運動が始まります。
ナショナルトラスト運動とは、自然や歴史的建造物を市民の寄金で買い取り保全していく運動のことを指します。
この活動により天神崎の自然は保護され、1984年には自然環境保全法人(ナショナルトラスト法人)の第1号に認定されました!
自然を守るために市民が立ち上がるってカッコいいなー!
海辺のしかも湾から突き出た岬に森だもんなー。
日和山の登山口。短時間で登れるようですね。さっきのマップでは山頂にビューポイントのマークがされていたから、次に天神崎に訪れるときは山頂からの景色も楽しみたいと思います♪
〈8:14〉天神崎の歌碑がある”仏岩の鼻”に到着!
看板の横から岩礁に降りて、景色を眺めながらゆっくり休憩します♪
釣りを楽しむ男たち!!まさに海の男!!
対岸には白浜!関西で”夏”って言えば白浜のイメージ。アドベンチャーワールドでパンダみたいな~(*´ω`*)
沖に浮かぶ船。
防波堤の向こう側には紀伊路のゴール地点”田辺”の街並みが見えてきました!!いよいよ長かった旅路も終わりを迎えます。感慨深い。
田辺の海水浴場。
夏にスタートした紀伊路旅も気づけばすっかり秋らしくなってきました。もう10月だもんなー。
岩礁から海を眺めて30分ほどゆっくり休憩しました!
〈8:43〉それでは行動再開!
仏岩の鼻から少し進むと市街地に入りました。突き当りで右へ曲がり道なりに進んでいくと、
〈8:56〉県道210号線に合流。熊野古道ともここで合流です。
出立王子→高山寺→紀伊田辺駅
県道を会津川へ向かって進むと、石碑と看板が立つ更地?がありました。
この土地は合気道の開祖”植芝盛平”さんの生誕の地でした(゚∀゚)!
植芝盛平翁はいくつもの武勇伝で知られる達人。身長が156cmと小柄ながら相撲力士を投げ飛ばしたり、発射された銃弾が見えて当たらないなどなど様々な伝説的エピソードが語り継がれています。
おじいちゃんになっても多くの神業を披露し「不世出の達人」と謳われた人物です!
ちなみに植芝盛平さんが眠るお墓は、このあと向かう”高山寺”の霊園内にあります。
県道に出てから少し先で、県道をそれて右手に入ると児童公園があります。
〈9:02〉この公園内には”潮垢離浜”の記念碑が立てられています。
この付近はかつて”出立浜”と呼ばれた地域で、熊野に参詣する人々が”潮垢離”する浜として知られていました。
潮垢離(しおごり)とは、浜で海水を浴びて穢れを払う儀式のこと。ここまで海辺をたどってきた紀伊路ですが、田辺からは山中を進む中辺路へと入るため、熊野の聖域に入る前のこの浜での潮垢離は重要なものとされていました。
県道に戻り会津川の手前のこちらの交差点で左へ曲がる。曲がるとすぐに出立王子があります。
ちなみにこのまま真っ直ぐ進んで会津橋を渡り中辺路・大辺路との分岐点”道分け石”を経由して紀伊田辺駅へ向かうこともできます。
おそらくですが、出立王子に立ち寄り、ここから真っ直ぐ進むルートが本来の紀伊路だったのかも。
〈9:10〉紀伊路内で最後の王子社「出立王子」に到着!!
出立(てだち)王子は別名「田辺王子」とも呼ばれた王子社。
藤原宗忠の日記「中右記」には、一行が熊野詣の際に参拝したことが記されています。
出立王子に参拝。
ちょうどこの日はすぐ近くの小学校で運動会が行われていたようで、子どもたちの楽しそうな声と競技スタートのピストルの音が聞こえてきました!
今年はコロナで色々あったけれど、子どもたちの賑やかな声がすごく楽しそうでホッとしました(*´∀`*)
一旦県道へ戻って会津川沿いを進んで高山寺に向かうこともできますが、そのまま出立王子横の道を登り集落を抜けたほうが少し近道だったので登っていきます。
登りきったところの交差点を右手に下っていく。
集落内に入り、左手に八立稲神社の急な参道を見送って進むと、
会津川沿いに出てきました。
河口付近にゆったりと流れる会津川。
会津川沿いを進み、JRの高架を潜ると、
〈9:22〉高山寺に到着です!
弘法大師さまが開創したとされる高山寺。地元の方々からは「弘法さん」の名前で親しまれているお寺です。
参道を登っていく!今回のコースで唯一のキツイ登り!笑
弘法大師さまの銅像かな?
近畿一帯には本当に弘法大師さまのゆかりの地が多いですよね。今回の紀伊路内にも弘法大師さまゆかりの史跡がたくさんありました。
登りきって境内に到着!
高山寺は”高山寺貝塚”の遺跡としても知られています。
境内の台地からは”押型紋”という模様のついた尖底土器や撚糸文(よりいともん)土器がたくさん出土していて、縄文時代早期の貝塚として知られています。
広々とした美しい境内。高山寺の多宝塔は江戸時代の建立なんだそう。
紀伊路を歩くと計画していた段階から、高山寺への参拝は一つの目標としていました。
その理由として”南方熊楠”さんのお墓参りに来たかったというのが大きいです。熊野古道を歩いていると何度も目にする南方熊楠さんの名前。
博物学・民俗学・人類学・植物学・生態学などさまざまな分野に及び、柳田國男氏から「日本人の可能性の極限」と称された数々の逸話が残る人物です。
南方家は紀伊路で歩いた「藤白神社」を信仰し、”熊楠”の名前も藤白神社にある子守楠神社に由来します。こちらの高山寺にも生前よく訪れていたそうです。
また熊野三山の那智山中にこもって研究に勤しむなど、熊野とのゆかりが非常に深い方。
ちなみに紀伊田辺駅のほど近くに”南方熊楠顕彰館(南方熊楠旧居)”があります。今回の旅では立ち寄りませんでしたが、こちらも今後の楽しみとして残しています♪
お墓は、地元の方々と一緒に霊園内で眠っておられました。
また先程、生誕の地を訪れた合気道の開祖「植芝盛平」さんのお墓にも併せてお参りさせていただきました。
霊園内ということで写真撮影はしていませんが、霊園内にお二方のお墓への道案内がされていました。
お墓参りを終えて参道を下ります。
〈9:36〉ではゴールへ向かいましょう!正面の階段へ。
ちなみに高山寺から左へ進むと、秋津王子があり、そこで中辺路と合流することができます。
追記:ここから中辺路「紀伊田辺駅~稲葉根王子」の区間を歩いてきました↓
高山寺から正面へ出て大師橋を渡る。弘法大師さまから名付けられたのかな?
中辺路もまた歩きに来なきゃな~♪
ほとんどのコースは歩きましたが、田辺~滝尻王子までの区間はまだ手つかず。
この区間にも五体王子の1つ”稲葉根王子”などなど見どころが沢山ありそうなので、まだまだ熊野古道旅は尽きそうにありません!
橋を渡って突き当りまで真っ直ぐ進む。
突き当りで右折します。
踏切を渡る。
踏切すぐの交差点で左へ曲がるとゴールの紀伊田辺駅ですが、今回はもう1箇所「道分け石」へ寄り道します。
道分け石への道標を辿り、北新町商店街にある呉服屋さんの前の電柱に、
〈9:46〉道分け石発見!!
この道分け石は、紀伊路・中辺路・大辺路の分岐点となります!
1ヶ月半かけて歩いてきた紀伊路もここでついにゴール!道分け石を見つけた瞬間にぼんやりと胸がいっぱいになるような達成感がこみ上げてきました(*´ω`*)
道分け石には「左くまの道」その下に小さく「すくハ大へち」、また別の面には「きみゐ寺」と刻まれています。
西から来た旅人がこの角を左折(ブログ主が来た方向)へ曲がると中辺路へ、直進すると大辺路となります。
※すく=まっすぐ
やったぜ!成し遂げたぜ!!
では紀伊田辺駅へ向かいましょう!
紀伊田辺駅周辺は飲食店がいっぱいあります!
「味光路」と呼ばれる紀南最大の飲食店街があり、ゴール後のお立ち寄りにもいいですね!
新鮮な魚介類で一杯!!
まぁこのあとキャンプ場に向かうし、そもそも車だから呑めないけど…(´・ω・`)しかもまだ朝だし。
〈9:57〉ということで紀伊路旅終了!!紀伊田辺駅に到着です!
駅前におられる弁慶様!!このあと駐車場に荷物を下ろして、弁慶様ゆかりの鬪雞神社へ向かいます!
駅から徒歩10分足らずで鬪雞神社に到着!
鬪雞(とうけい)神社はかつて”新(いま)熊野権現”などと呼ばれて熊野三山の別宮的な存在として、熊野信仰の一翼を担ってきた神社です。
「紀伊続風土記」によると第18代熊野別当”湛快(たんかい)”のとき熊野三所権現を勧請したとされています。
「鬪雞神社」の社名は湛快の子である第21代”湛増(たんぞう)”に由来します。
この湛増の子とされているのが、かの有名な「武蔵坊弁慶」となります!!
『平家物語』によれば、源氏・平氏の両方から熊野水軍の援軍を求められた湛増は、どちらに味方するべきかを神に教えを乞うため、紅白7羽の鶏を戦わせました。
その結果、源氏の白旗と同じ白い鶏がことごとく勝利!源氏に付くことを決めたといいます。
鬪雞神社の社殿。
社殿の配置は明治時代の大洪水で流出する以前の熊野本宮大社とよく似ているんだそう。現在の大斎原にあたる旧社地ですね。
境内に立つ、湛増と弁慶の親子像。
ちょうど熊野古道トレッキングツアーの団体さんが宮司さんからの解説を聞いておられました。
ガイドさんがおられたので、少し立ち話。なんでもガイドさんは”山伏”さんでもあったので、大峯奥駈道も含めた熊野古道の貴重な情報をたくさん教えていただきました。
ツアーの方々はここから全7回に分けて、熊野本宮大社まで歩かれるそうですよ!
ガイドさんにガイド料も支払わずに色々教えてもらう、ちょっと図々しいブログ主でした^^;
今回は鬪雞神社だけで田辺周辺の散策はやめておきました!
田辺市周辺にはまだまだたくさんの熊野古道関連の史跡、観光地などがあり1度ではなかなか散策しきれません。
これから何度も田辺には来るだろうし、その都度、色々周ってみようと思います♪
紀伊路を終えた達成感とともに、ご褒美のキャンプに出発しました!!
まとめ
ということで無事、熊野古道「紀伊路」を歩き切ることができました!!
和歌山と大阪の境である”山中渓”からはじまり、和歌山市街を抜けて海南市・藤白神社から「藤白坂」を登って、みかん畑を抜けて醤油の発祥地”湯浅”へ。
鹿ヶ瀬峠を越え、御坊平野から海岸を伝って浜辺を歩き、梅の里みなべ町。
そして熊野の玄関口である口熊野・田辺。
当初は世界遺産に含まれていないコースだから、見どころは他のコースよりすくないのかな?と考えていたけれど、実際歩いてみると本当に見どころが満載で内容の濃い旅路だったと思います!
紀伊路は生活道路として発展してきたコースなので、今回ブログ主が区切った全9回のプランでなくても、コースに沿って走る電車を利用して臨機応変にコースを計画することができます!
非常に魅力的なコースなのでぜひ挑戦してみてください!
これにて「紀伊路編」完結!!最後まで読んでいただきありがとうございました(*´∀`*)
熊野古道「中辺路」「小辺路」についてはこちらから↓