2020年7月初旬に「安土城址」を散策してきました!
今回は安土城のある安土山からほど近くにある「箕作山・太郎坊山」に登るために、滋賀県を訪れました。予想よりも下山時刻が早かったのもあり、せっかくなので、以前からずっと訪れたかった安土山へ!
天下統一を成した織田信長が築城し、大型の天主(天守)を持つ豪華絢爛の安土城。築城からわずか6年ほどで焼失してしまいましたが、現在でも山中に総石垣の美しい城郭を残しています。
今回は、安土山・城跡の散策の様子と、駐車場・アクセス情報などをご紹介します。
織田信長が築いた「安土城」とは?
安土城は琵琶湖の東岸・安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町)にあった山城!
戦国武将「織田信長」が築城したお城として非常に高い知名度を誇る戦国時代を代表する名城です。
日本最初の天主(※天守)をもつ城としても知られていますが、築城からわずか6年ほどで焼失してしまったため、未だ数多くの謎が残されてる、ミステリアスなお城です。
安土城の規模・容姿は非常に豪華絢爛であったとされ、宣教師”ルイス・フロイス”の記述によれば、「ヨーロッパにもあるとは思えないほどの壮大さであった」といいます。
天主は五層七階(地上6階地下1階)もの規模を誇り、権力や財力を誇示して諸大名たちに脅威を与え、まさに”天下布武”、信長の天下統一の野望を象徴するような城郭でした!
※安土城では「天守」のことを「天主」と表すのが通例です。
安土城以降~江戸時代にかけて築かれた天守の建つ城を「近世城郭」といい、南北朝・戦国時代に数多く築かれた城を「中世城郭」といいます。
天正4年(1576年)から約3年の歳月をかけ安土・桃山時代の幕開けと共に築城されましたが、天正10年(1582年)に起きたいわゆる「本能寺の変」により、織田信長とその息子・信忠が死去。
その後しばらくは織田氏の居城として安土城は残りましたが、原因不明の火災により天主・本丸が焼失し、天正13年(1585年)に完成からわずか6年ほどで廃城となりました。
廃城後、石垣や建物は八幡山城を築く際に移され、城下町も八幡山へと移っていきました。
現在は石垣だけが残る安土城跡。当時の建築物では”二王門(楼門)”と”三重塔”が、山の中腹にある「摠見寺(そうけんじ)」の境内に残されています。
歴史のほんの短い一幕でしたが、今も多くの歴史ファンや観光客、ハイカーたちが足を運ぶ、ミステリアスでロマンあふれる名城です!!
場所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
形態:山城(湖城)
城主:織田信長
年:1576(築城開始)→1579(完成)→1585(廃城)
※1582年に「本能寺の変」、天守が焼失
その他:日本100名城、二王門・三重塔(重要文化財)
場所・アクセス
〈マイカー〉
- 名神高速道路「八日市IC」から約25分
- 「蒲生スマートIC」から約20分
- 「竜王IC」から約35分
〈公共交通機関〉
- JR琵琶湖線「安土駅」が最寄り駅
- 安土駅より徒歩で約20分・レンタル自転車で約10分
- タクシーの場合は約7分
大手門前にあるタクシー乗り場
拝観料は?
安土城址のある安土山を散策するには拝観料(入山料)が必要です!
安土城を象徴する「大手道」の入り口に受付があります。
拝観料は上記の通り。
- 大人:700円/小人:200円
- 幼児:無料
料金を支払うと、安土城跡のガイドマップがもらえます♪
有名な肖像画より、若々しく穏やかな表情をしておられる表紙の信長さま(゚∀゚)!
拝観時間は?
基本的に”年中無休”で拝観できます!
拝観時間:8:30~17:00(受付最終16:00)
※季節による変動あり
また安土城内にある「摠見寺(そうけんじ)」の特別拝観は実施日のみの不定期となります。また摠見寺特別拝観には別途料金が必要です。
拝観料:500円(抹茶と菓子付)
時間:8:30~15:00
駐車場は?
受付のある大手門跡前には大きな無料駐車場が設けられています!
普通車だけでなく、大型バスやバイク・自転車なども利用できます。
駐車場前には休憩所とトイレ、”城なび館”という安土城の情報が得られる施設があります。
この城なび館では、歴史資料の展示などの他にも、VRによる上映もされているので、安土城跡に登る前に立ち寄るのもオススメです!
開館時間:9:00~17:00
入場料:大人200円/小・中学校100円
※当日に限り、再入場可能
受付より先、安土山内にはトイレがありませんので、駐車場で利用してから登り始めましょう!
安土城址を散策
大手道・本丸・天主跡
それでは散策してきましょう!
受付の目の前には石垣造りの”大手道”!正面玄関である大手門から天守・本丸に至る場内でも特に重要な道です。
道幅は約6~7もの幅があり、両側には幅1mほどの側溝と高い石塁に囲まれています。
美しい道ですが、なかなかキツそうな登り坂^^;
受付には杖が貸し出されています。
安土城と家紋の焼印。かっちょええ(゚∀゚)!
なんか、修学旅行とかのお土産の木刀みたい。
こちらは受付にあった、城内マップです。赤いコースを天主まで登り、青いコースで戻ってくるルートになります。
受付の方いわく、コースの所要時間は1時間~1時間30分ほど。
それでは大手道を登り天主跡を目指しましょう!
大手道の両脇には、羽柴秀吉や前田利家、徳川家康など、錚々たる武将の”屋敷跡”が並んでいます。
受付から登り始めてすぐ左手側に羽柴秀吉の屋敷跡。
石碑の頭に”伝”と付いているのは、はっきりとは分かっていないからなのかな?
安土城は1989年(平成元年)から20年にわたって発掘調査が実施されました。その間に、この大手道と通路沿いに築造された家臣の屋敷、本丸御殿などの当時の状況が明らかとなり、併せて石段・石垣などの修復工事が行われました。
発掘調査は予定通り20年で終了されましたが、その間に調査できたのは全体の約20%にとどまります。
全域を調査し終えるにはあと50年~100年ほどの膨大な時間が必要とされています。
羽柴秀吉の屋敷跡は広い敷地と大きな石垣が残っていました。
秀吉邸のお向かいには、前田利家の屋敷跡もあります。でも広さが明らかに秀吉邸の方が広い…。ご近所トラブルとかなかったのかな?
「本能寺の変」の後に、利家は秀吉の家臣となるので、そのあたりは良好だったのかも。あ…でも最初は柴田のかっちゃんに付いたような…。
秀吉邸は上下2段に別れた郭で構成されています。こちらは上段側。
主殿の礎石が残る。この広さに礎石の量。かなり大きなお屋敷が建っていたんでしょうね~。
秀吉邸の上段郭の向かい側には摠見寺の仮本堂。現在の摠見寺仮本堂は徳川家康邸跡に再建されたものです。
摠見寺(そうけんじ)は、織田信長によって建立された臨済宗妙心寺派の寺院です。安土城築城の際、本丸の西方の峰に自らの菩提寺にしたと伝えられています。山号は遠景山。
本能寺の変の後に起こった安土城の炎上ではまぬがれたものの、江戸時代末期の火事で本堂は焼失しました。
「天下布武」の文字が入った御朱印が手に入ることもあり、歴史ファンに人気の摠見寺。
この日は特別拝観は行われていなかったので、残念ながら拝観できませんでした。
特別拝観は主に土・日・祝日などの休日や訪れる方が多い季節などに行われるようです。
拝観はできませんが鐘には近づけました♪
これは鳴らすしかない(`・ω・´)ゞ
もちろん鳴らすのはOKです!
願いを込めて鳴らすと、とっても心地よい音が山内に響き渡りました(〃∇〃)
大手道を登っていくと足元に”石仏”と書かれたプレートが埋め込まれていました。
なんだろう?と説明を読んでみると、築城に使用する多くの石材は近郊の山々から集めたものですが、その中には石仏や墓石なども含まれていたようです。
それでお賽銭のお皿?が置かれているんですね。
こちらの方が、石仏だと判別しやすいかも。本来は信仰の対象となっていた石仏なのですが、築城の経緯を示すため、発見当時の状態で保存されています。
なかなか勾配のキツイ石段をゆっくり登っていく。追って道の両脇にはちょうど見頃の紫陽花がたくさん咲いていました!癒やされる(*´ω`*)
この季節も美しい城内ですが、やはり紅葉の時期は特に人気なようです!郭の石垣と色とりどりに紅葉する木々。多くのカメラマンで賑わいそうですね!
色気のあるカラフルな紫陽花。
だいぶ登ってきました!結構疲れたー。
傾斜が穏やかになったところで、天主・本丸と摠見寺(三重塔・二王門)の分岐。
正面に進む道が摠見寺への道。帰路に歩くコースです。
分岐を右へと進み、天主・本丸方面へ。
本丸までまだまだ続く石段。マップでは”尾根道”と書かれていました。
尾根道の途中には信長の甥にあたる”織田信澄”と”森蘭丸”の屋敷跡。
森蘭丸は本能寺で信長と運命を共にした近習。小姓として主君のそば近くに仕え、信長から特に気に入られてきたとこで有名な人物です。
本丸・天守閣のすぐ近くに屋敷があるのも信長のお気に入りだった証なのかもですね。
尾根道を登り切る。
登りきったところが、”黒金門跡”。安土城の中枢部への主要な入り口の一つ。
このあたりから、一際大きな石垣が目立つようになります。
ここまで見てきた石塁や郭の石垣に比べて、使われている石も驚くほど大きく、信長が側近たちと日常生活を送っていた黒金門からの東西180m、南北100mに及ぶ中枢部は、周囲を頑丈な石垣で強固に囲まれていたことがわかります。
高くそびえる天主を中心に、本丸・二の丸・三の丸と主要な郭で構成され、安土城で最も高い標高180m以上の場所にあります。
いよいよ安土城の中枢へ!
こちらは仏足石。
この石は、大手道の石仏や墓石などと同様に、安土城築城の際の石材として集められたものです。昭和初期の登山道整備の際に、この近くの崩れた石垣の中から発見されました。
足型と太陽?
説明を読むと、お釈迦様の足跡を表現したもののようです。古代インドでは仏像に先立ち崇拝の対象とされてきました。
日本では奈良の薬師寺のものが現存する最古の物として有名ですが、こちらは中世の数少ない遺物として貴重な物なんだそうです。
本丸・天主に向かう前に先に二の丸跡へ。
二の丸跡には信長公の本廟があります。
羽柴秀吉がこの二の丸跡に太刀、烏帽子、直垂などの信長の遺品を埋葬し本廟としました。
信長公の眠る本廟にお参り。
一周忌には織田一族や家臣を集め、盛大に法要を行ったと伝わっています。
ここの広場が安土城の本丸!!
「信長公記」によればこの建物には天皇を招き入れる「御幸の間」があったとの記述があります。その後の調査で京都御所内の”清涼殿”と似た構造になっていたことが判明しました。
石垣の上から本丸御殿跡。テーブルが並んでいて、木陰が涼しいので休憩ポイントに良いですね!
観光の方が多いかな~と予想していたけど、ハイキングとして登ってこられていてる方もたくさんおられました。
本丸のすぐ先が天主閣跡!
ここに豪華絢爛の天主が建っていたんですね~。
安土城の天主は近代城郭の原点として、大阪城などの江戸時代に築城された城郭に大きな影響を与えています。
ちなみに天主上部(5階と6階部分)を原寸大で復元したものを、安土城跡の近くにある博物館「安土城天主 信長の館」で見学することが出来ます!
また信長の館を含めて、「安土城郭資料館」「安土城考古学博物館」とJR安土駅周辺に3つもあるので、併せて立ち寄ると、より安土城の詳しい情報を得ることが出来ます!!
天主の礎石に蛇の抜け殻が(゚д゚)!
蛇の抜け殻って財布に入れとくといいんだっけ?豪華絢爛の天主の跡地に金運アップのアイテムがドロップ!
でも持ち帰るのはちょっとイヤだから、写真に撮って待受にしようっと!たしかそんなのも昔流行ったような記憶があります。
天主跡からは琵琶湖が一望できます!特に北側、奥琵琶湖方面の展望が良い!!
琵琶湖内にぽっかり浮かぶ多景島。
北東方面の琵琶湖湖畔に見える山はおそらく彦根市の荒神山だと思います。写真右端にうっすら見える山が伊吹山。
北西側には遠くに比良山地の山々。雲がかかっていたので正確ではないかもですが、真正面あたりにある山が武奈ヶ岳だと思う。
琵琶湖のこちら側の湖畔に並んでいるのが長命寺山周辺の山塊だと思います。
また南側にも展望があります。遠くに見える山のあたりが、甲賀・信楽方面だと思うので、真正面に見える山が飯道山じゃないかな?
もう少し天気が良ければよかったけど、梅雨中だから雨がふらないだけでも良しとしましょう。
天気が良ければもっと遠くまで見渡せるだろうし、石垣なども日に照らされてもっともっと美しいんだろうな~。
摠見寺本堂跡・三重塔・二王門
それでは天主・本丸などの中枢部から、帰路の摠見寺方面へ進みましょう。
あとは下るだけかな~と思ったけど、
こちらも少しだけ石段の登りがあります。
登り切ると三重塔が見えてきました!
摠見寺の三重塔は三間三重の塔で屋根は本瓦葺き。室町時代に建てられたものとされ、柱に享徳三年(1454)建立、天文二十四年(1555)と書かれています。
ここが本来、摠見寺の本堂が建てられていた場所です。
この摠見寺本堂跡からも絶景の展望が広がります!
西の湖から八幡山城、近江八幡の町並みが一望できます!
八幡山城のある八幡山(鶴翼山)。
信長亡き後、天下統一を目指した豊臣秀吉により、安土城に代わる近江の城として八幡山城が築かれました。甥の豊臣秀次が治める。
築城の際、安土城に残る石垣や建物は移され、さらに城下町もそのまま八幡山城に移されることとなります。その際、旧安土城下や近在の商人が集まったのが近江商人(八幡商人)の始まりとされています。
八幡山城下町と言えば、現在でも八幡堀という美しい水路が残る観光スポット!風情ある町並みや水路は時代劇の撮影地としても知られています。
八幡山から大津方面に見える山が延暦寺のある比叡山です!
比叡山を焼き討ちした信長は、どんな気持ちでこの景色を眺めていたのかな~?
西の湖に浮かぶ住宅。実際には湖畔なのですが、ここからみると湖の中に浮かんでいるように見えました。
目を凝らして見てみると、湖に沿う住宅には駐車場のようにボートが並んでいました。
こんなロケーションで生活するの憧れるなー(*´ω`*)
琵琶湖周辺ではジェットスキーやカヌーなどの水中スポーツが盛んですよね。ブログ主の自宅周辺では水泳以外の水中スポーツ・レジャーがほどんどないから、羨ましい。
三重塔の全体を撮影したいのだけど、収まる撮影ポイントが見つからない…。
石段を登ったり下ったりしながらポイントを探しましたが見つけられませんでした…orz
そろそろ諦めて下っていきます。正面に見える建物が二王門です。
二王門(楼門)を正面から。
左右に金剛力士立像が安置されています。こちらも三重塔と同様に重要文化財に指定されています。
二王門の説明板。
入母屋造の屋根。
木造の迫力がある立派な門。入り組んだ柱がかっこいいなー。実はブログ主の祖父は宮大工でした。
二王門から下っていきましょう。ここに来て少し晴れ間がでてきました^^;
燈籠?の一部と、同じように積まれた石。
西側へは通行止めで下山できないので、受付方面へ山裾を戻る。
すると、秀吉邸跡に抜けてきました!
ということで散策は終了です!
景色を楽しみつつ、一つ一つをじっくり見て時間をかけて歩いたので、散策時間は約1時間30分ほどかかりました!
なかなか歩きごたえがあり、観光というよりもハイキングに近いような散策でした!
天気はあまり良くありませんでしたが、そのおかげか、あまり混雑しておらず、思いのままにのんびり散策できたので、大満足の一日でした♪
できれば、お隣の六角定頼の居城があった観音寺山へも立ち寄りたかったのですが、麓から登るとかなり時間がかかるので、また折を見て登りに行きたいと思います!
まとめ
ということで今回は織田信長の居城「安土城」の散策でした!
今回は山登りの帰りに立ち寄ったので、その後に近くの博物館などには立ち寄りませんでしたが、再現された天主の展示や、発掘調査で発見された遺物・資料などが見学できますので、併せて巡るプランがオススメです!
より詳しく、より楽しく安土城跡を散策できると思います!
歴史ファンの方にはもちろんですが、天主跡・摠見寺本堂跡からは琵琶湖など周辺の展望も楽しめますのでハイキングとしても観光としても楽しめます。
戦国3大武将の一人、織田信長ゆかりの安土城跡を散策してみてはいかがでしょうか?